日本の『銃・病原菌・鉄』は割と対策バッチリだった?

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今回は、ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』についてお話しします。

日本の場合、
・銃 0から世界最大までの製造数へ
・病原菌 奈良時代に流行済
・鉄 日本刀などの製造技術
どれも免疫ができていたと考えられます。
黒船来航後の発展は人材のみに注目していましたが、下地ができていたのですね。

銃 0から世界最大までの製造数へ

種子島と言えば火縄銃。
鉄炮記』にもある事実。
1543年ポルトガル人から火縄銃を入手した話は有名です。
日本史では初の鉄砲入手と習った気がします。

しかし最近の研究では沿岸の海賊などがすでに使用していたとのこと。
1丁2億円、安くとも数千万円という高値で取引された話もよく聞きます。

戦国時代において銃が重要な武器とされるのは、威力だけではありません。
人を殺める行為は、無意識にそれを避けようとする心の働きがあります。
『戦争に置ける「人殺し」の心理学』によると人殺しへの忌避感は、対象の相手との距離が近ければ近い程、強まるそうです。

近代の戦争においては、人殺しへの忌避感をいかにとりさるか、それを重視しました。
鉄砲とは、遠くから体格に関係なく人を殺せる画期的な武器です。

それをうまく利用したことで有名なのが織田信長。
信長は武器の長所を生かした戦いをしました。
また、火縄銃の重要性を理解し、その生産地である堺を支配。
日本統一に向け火縄銃の製造はどんどん行われました。
結果、戦国時代末期には日本は世界一の銃保有数国家となったのです。

信長はその後、本能寺の変で暗殺されました。
次の時代を背負った豊臣秀吉は、中国征服に乗り出します。
戦果はあったものの、奥地まで伸びた戦線は持つはずもありません。
文禄・慶長の役。
この戦いはスペインとインカ帝国のような一方的にはなり得ません。
文化と戦術を持つ中国を相手。
しかも地の利もありません。
結果、何の成果も揚げられずに豊臣家を衰退させてしまいました。

信長はヨーロッパ。
秀吉は中国。
目を向けた方向が違ったようです。
領主の息子と農民という出自の違いがそこにあったのかもしれません。
もし仮に信長が存命であれば、中国征服とは違ったアプローチを世界全体にしていたのではないでしょうか。
その後、家康の時代となり、銃の製造は行われなくなりました。

ちなみに、『銃・病原菌・鉄』では伝統を重んじる「武士」が鉄砲を嫌い、鉄砲が廃れた、といったことが書かれていましたが、さすがにこれは疑問です。

軍人というのはプラグマティズムだ、と言ったのは漫画「BLACK LAGOON」だったと思いますが、生き死に渦巻く戦地において、伝統を重んじる精神性というのは無視されるのではないでしょうか。

銃の規制、それは徳川家による権力強化のための武装解除の意味合いが強いと思います。
もちろん太平の世でしよう機会がなくなったこと、鎖国による異文化の侵入機会が減ったことも原因でしょう。

日本は、銃という免疫をしっかり持っていたことが分かります。

病原菌 奈良時代に流行済

ヨーロッパからもたらされた病気『天然痘』。
これは世界各地で猛威を振るいました。
ユーラシア大陸という最も恵まれた地域は、裏を返せば病気にも恵まれます。

天然痘は致死率が20〜50%。
感染力も高いおそろしい病気です。
日本で罹患した有名人と言えば夏目漱石。
一番最後に罹患した日本人は有名なタレントさんで今もご存命です。

このように、天然痘はつい最近までも名前の残るおそろしい病気でした。
一度発病すると免疫ができますが、それを持たない国々は人口を大きく減らしました。

日本はどうか。
日本は奈良時代に天然痘で苦しみました。
当時の権力者、藤原四子の死因。
国策としての墾田永年私財法。
それらは天然痘に苦しむ国全体の背景があって生まれたものです。

すでに病気としての天然痘は存在していたことになります。
大航海時代、ヨーロッパの人々と同じ条件で病気に臨むレベルではあった、ということです。

ちなみに後の江戸時代後半には天然痘対策の種痘がすでに使用されていました。
ヨーロッパとの文化の差は決して大きいものではなかったのでしょう。

つまり日本は、文字通り病気に対する免疫もできていた、と考えられます。

鉄 日本刀などの製造技術

これに関しては言うまでもないでしょう。
鉄と言えば刀です。

古くは現存する直刀、丙子椒林剣(へいししょうりんけん)。
我々が日本刀と言われてイメージする「湾刀」は10世紀頃にできあがりました。
平将門の乱など、武士の活躍する時代です。

その日本刀は慶長元年(西暦1596年)以前と以後で分類されます。
以前を古刀。以後を新刀。
そのうち、古刀の製造技術は現代科学でも不明な部分があるらしいです。

金属を扱う冶金のロストテクノロジー。
興味深いことにインカ帝国にも存在していたようです。

融点の高いプラチナを加工する技術や宝石の加工技術など。
共通するのは装飾のための技術ということです。

現代において解析不能な発達した技術。
その技術力を武器に向けたか向けなかったか。
それもまた国の運命を分けることになりました。

まとめ

大航海時代はヨーロッパとそれ以外の国々の折衝です。
それは、大きな変革を生み出しました。
新しい技術の導入や体制の変化です。

日本は銃を手に入れ、銃で時代を終わらせました。
その後、太平の世を打ち立てます。
鎖国により異文化流入が途絶え、黒船来航。
新しい技術を失った日本は圧倒的に不利な状況です。
内乱を抱えながらもなんとか新しい政府を樹立。
新政府は開国時に結んだ不平等条約を回復していくことを目指します。

新しい文化と文化の折衝。
人道主義という観念のない時代で、弱者は淘汰されるしかありませんでした。
『銃・病原菌・鉄』を持ち得た日本はかろうじて支配を免れたのです。
大きな逆境が何度訪れても、文化によって国を維持してきました。
鎖国という閉ざされた鬱憤をはらす有能な人物の出現。
そしてそれを生み出す国の土壌は確かに存在していたのでした。