国債は”国の借金”じゃない
まずは基本的なおかねのやりとりを考えます。
例えば、僕が◯サンという企業の豆乳を購入したとします。
お金の流れを図にすると以下の通りです。
1.僕も◯サンもお金を持っています。
2.僕は◯サンの豆乳を買いました。
3.豆乳の代金の分だけ僕はお金が減り、◯サンのお金は増えました。
これが基本的なお金のやりとりです。
個人と企業との関係はとても簡単なものです。
どちらかがおかねを失い、どちらかがおかねを得る。
これだけです。
では、これを世界規模で見たらどうでしょうか。
国民と世界、になるのでしょうか。
どうやら違うようです。
人は国家に属しています。
つまり世界規模で見たら国民と世界、という関係にもう一つの要素が加わります。
それが”政府“です。
日本という国は世界に存在するために、”政府“とともにあるのです。
政府 + 国民 = 日本
図の赤と白の部分が日本です。
こんなになっちゃったりすることもあります。
何だか国民が元気いっぱい。
こんなことになっちゃうことだってあります。
政府の圧力が半端ない。
政府というのは国民、世界とは特殊な関係になっています。
最初の僕と◯サン企業との関係のように簡単ではありません。
その理由は下の三つがあるからです。
①ものを作ったり売ったりすることはできない。
②国民から税金を受け取ることで成り立つ。
③自由におかねを作ることができる。
政府はものを作ったり売ったりできません。
だからそれを国民の中にある企業に作らせます。
タダで、ではありません。
当然、おかねを渡して企業に作ってもらいます。
公共事業です。
→①
では、そのおかねはどこからやってくるのか。
日本に住んでいる国民からおかねを集めて使うのです。
これを”税金”といいます。
走りづらい凸凹の道を平らにするにはおかねがたくさん必要。
道を通る人から集めていたのでは時間がかかりすぎる。
そんなときに政府が”税金”を使って国民の生活を助けます。
残念ながら、たまに”税金”を使って遊んじゃう人もいます。
そういう人はつかまります。
でも、基本は国民の生活を助けるためにがんばります。
→②
政府は貨幣や国債を発行できます。
国債は一般的に国の借金、と呼ばれたりします。
→③
ところでこの国の借金である国債。
いろいろありまして、溜まりまくっています。
2022年現在の債務は国債と地方債を合わせて1200兆円。
これが国の借金だとしたら大変です。
きっと、みんな日本政府が借金まみれと知って信用しなくなるでしょう。
だから日本のお金の価値が下がっているはずです。
国債だって同じ。
借金まみれの国の信用できなさそうな債務。
利子をめちゃくちゃあげないと、誰も受け取ってくれないことでしょう。
ところがそんなことありませんでした。
国債という国の借金はどんどん溜まっています。
でも、金利はどんどん下がっています。
下がっても欲しがる人がいるからです。
おかしい。
今までの経済の考え方だと、増えたものの価値は下がる。
この大原則がなぜか成り立っていません。
なぜ?
それは”国債=国の借金”という考え方が違う
それがMMTが示した考え方の一つです。そしてこれは僕の疑問ですが、
“国債=国の借金”ならば、なぜ借金である国債をわざわざお金を出して購入する人がいるのか
ということもあります。
喜んでお金と交換する人がいる借金。
それはもはや借金とは違うもの。
そう言い切っていい、というのが今回の結論です。
*今回の参考テキスト
MMT現代貨幣理論入門 Kindle版
MMT〈現代貨幣理論〉とは何か 日本を救う反緊縮理論 (角川新書)