『1985年の無条件降伏~プラザ合意とバブル~ 』〜英会話ができる〇〇大学卒が国際協調の正解?〜

スポンサーリンク

グローバリズム、という言葉があります。

グローバリズム: globalism)とは、地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化グローバリゼーション)を進める思想である。

Wikipedia

この考え方をもとに、国々はお互い経済の連携を重ね、相互に平和な発展を進めるのでした。

……。

そんな考えがほんの数年前までまかり通っていたのです。
グローバリズムが崩壊している現状。
今の混乱を予想できていた人は、いったいどれくらいいたのでしょう。

例えば、『サピエンス全史』で有名なユヴァル・ノア・ハラリ先生。
『21 Lessons』を読んでみると、当時の世界に対する牧歌的なとらえ方が記述されています。
(外れすぎててウケる……ボソッ)

一方で、中野剛志 先生の著書、『富国と強兵』。
騒ぎの始まる6年前から現在を予知するかのような記述がたくさんありました。

たとえば一九世紀後半のアメリカは、大国になっていく過程で、西半球からイギリスなどヨーロッパの勢力を追い出すことに成功した。いわゆるモンロー主義である。大国化した中国が、それと同じことを考えないはずがない。中国は地域覇権となることを目指して、必ず東アジアからアメリカの影響力を排除しようとするであろう。

中野剛志 富国と強兵

地政学という敗戦時に無理やり捨てさせられてしまった学問。
それが正確に、そして冷徹に今の世の中の混乱を見抜いていたのです。

っていうか、地政学という学問をアメリカもロシアも中国も学んでる。
当然、そりゃそうなるよね、っていう話は置いといて……。

いや置いとかずに持ってきて、
なぜ、日本にはずっと地政学的観点がなかったのでしょうか?

それは前述の通り、捨てさせられてしまったそうです。
敗戦時、日本は国家主義や戦意を鼓舞する内容を抹消させられてしまいました。
いわゆる”墨塗り”というやつです。
これによって日本は戦争に関するあらゆる考え方を文字通り黒く塗られてしまったのです。
その際に、地政学という学問自体も墨で塗られて抹消されたそうです。

戦勝国であったアメリカ、ロシア、中国。
その国々にあって、日本になかったものの一つ。
それが地政学の考え方でした。

ここで、戦後の話につなげます。

日本は豊かな国になりました。
技術が発展し、経済が潤い、世界のトップに躍り出た時代があったのです。
『Japan as No.1』。
今の窮状からは想像もできませんが……。

それは奇しくも田中角栄元首相が脳梗塞で倒れた1985年。
世界中の国々が、好調である日本に難題をたたきつけたのでした。

「円高ドル安を解消せよ」

好況まっただ中の日本。
それにアメリカが待ったをかけたのです。

アイアコッカ会長は、いかにもアメリカ人という陽気な風貌をしている。その彼が「日本市場は閉鎖されている」「日本は円安の恩恵を受けている」と吠える様子は、日本の新聞やテレビでもよく取り上げられ、すっかりおなじみの姿になっていた。

……アメリカからの批判は強まる一方だ。このままでは、日米関係そのものにヒビが入るという危機感が、日本政府には漂っていた。 問題解決の方法はひとつしかない。日本の貿易黒字を減らすことだ。 日本の対米輸出が減り、同時に、アメリカの対日輸出が増えるというのが、いちばんいい。  どうやって日本の貿易黒字を減らすか。

1985年の無条件降伏~プラザ合意とバブル~

日本人は人の足を引っ張る、なんてどこかの記事で読みましたが、なんてことはない、アメリカだって同じことを国をあげてやっていたようです。

日本の黒字を減らすことより、自国の技術力を上げて競争せいっちゅーの。

そんなツッコミができなかった当時の日本政府。
何をしたかと思えば、なんとその要求に素直に応じたのです。
結果、プラザ合意から一年で90円の円高!
1年で60パーセントも円高になったのです。
日本、マジやばい。

円高になった結果、日本製のものは高すぎて売れなくなりました。
円高不況です。
そりゃあ一年で6割高なんだから、当たり前ですよね。

当然、日本は助けを各国に求めました。
プラザ合意を素直に受け入れてここまで苦しんでいる。
今度は助けてくださいよ、と。

ダメでした。
拒絶されました。
それどころか、「もっと円高にせい」とか言われちゃいます。
わけわかめ。

宮沢蔵相は英語が堪能で、アメリカのベーカー財務長官とは親しい間柄だった。日米交渉やG7でベーカー長官と会うときには、「Oh James!」と呼びかけ、互いに、満面の笑顔で抱き合う姿があった。  それだけに宮沢蔵相は、円高を止めたいという日本の希望をベーカー長官はよく分かってくれるはずだと思い込んでいた。  ところが、アメリカも、円高を止めるような介入は、ほとんどしない。日本が強く要請すると、ただ、お付き合いのように、少し介入するだけだった。  宮沢蔵相には、どうしてジェームズは何もしてくれないんだ、という思いがあっただろう。裏切られたという思いもあったのではないか。

1985年の無条件降伏~プラザ合意とバブル~

個人的な人間関係はその方々で解決すべきでありどうでもいい。
問題は、その思惑にのって国全体が衰えてしまったという事実。
しかも何十年も衰えたままにするほど、ヘタを打ったのです。

その後、日本はどうなったのかといえば……。
絶好調になりました。
円高のおかげで資源を安く買うことができる。
買ったものを加工して売ってまた大儲け。
これがバブル経済へと繋がって行ったのでした。

じゃあ、このプラザ合意を同意したことは日本にとってよかったことだったのでしょうか?

当然、そんなことはありませんでした。

大きな波が寄せれば、また大きな波が返っていくように日本の経済は一気に収束し、終息したのです。

まとめです。

日本は敗戦によって地政学の観点を失いました。
その結果、国際協調を真面目に目指し、アメリカの要望を受け入れました。
結果、失われた10年、20年、30年。
そして40年目を迎えようとしているわけです。

「国際協調」は、各国の利益に折り合いをつけ、各国の不満や不平をうまく抑え、それを、オブラートでくるむものである。

1985年の無条件降伏~プラザ合意とバブル~

こうして考えてみると、国債協調の真のあり方は前回お話した通りだと思います。

日本の政治家や官僚の皆さんは日本を豊かにするために存在する。
それ以外の政治家や官僚に存在意義はありません。

某総理大臣はものすごく学歴差別主義でいらしたそうです。
どこの大学卒か聞いてまわる。
東大経済学部じゃなければ認めない。
そんな方だったそうです。
本当だったら残念すぎる……。

「ハロー、ジェームズ!」なんてペラペラ英語をしゃべることが国際協調といえないことはもう明白です。
英語喋りたかったら英会話教室にでも通えっつーの。

マキャベリの『君主論』には、国防に際して外国の軍隊は全く役に立たない、とあります。

次回はこのことも踏まえて、アメリカという国が本当に信頼に値するのかを考えてみたいと思います(もうオチが出てるけれども)。