将棋の思い出

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将棋は父に教わった……はずだけれど記憶にない。
気がついたらコマの動かし方を覚えていた。
父や兄と指す。
明らかに父も兄も将棋の才能があった。
一方で僕は全く才能が無い。
負けてばかりだった。

かといって、駒落ちをしてもらったことはない。
負けん気が強い、とかそういうのではない。
何だかルールから外れてる感じが嫌だったのだ。
……とそれっぽく言ってみたけれど、正直よく分からない。
あまり勝てもせず、勝とうともしない。
そもそも勝ち方が分からない。
ダラダラとした将棋との関係は何年も続いた。

将棋の手合割 – Wikipedia ja.wikipedia.org

以後、家族で将棋が流行する期間が度々あった。
センスのある父と兄は五分。
時折勝てる期間があり、負ける期間もあり。
やがて流行は廃れ、また復活する。
姉と僕はいつも弱いままだった。

中学生を過ぎた頃、棋書に出会った。
矢倉囲いについての本だった。

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wikipediaより

矢倉囲い – Wikipedia ja.wikipedia.org

将棋の純文学、と言われる歴史ある囲い。
兄は将棋に興味を失い、父と指すことが増えた。
本の通りとはいかないまでも、囲う分だけしぶとくなった。
持ち駒を交換しあい、有利な形を取れるようにもなった。
しかし、そこまでだった。
本の知識だけでは才能に勝てない。
交換して有利になった状況からどう攻めていいか分からない。
その時も父には勝てなかった。
次に買ったのは各交換型中飛車の本。

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wikipediaより

中飛車 – Wikipedia ja.wikipedia.org

千日手含みの渋い内容だった。
やはり本通りの形までは到達するものの、先はない。
結局、父と指して勝つことはまずなかった。

年が過ぎ、姉が結婚し子供達が生まれた。
兄妹そろってかわいい。
産んで育てる苦労もせずに時間を共有させてもらった。
そんな兄妹たちも大きくなる。
やがて姉一家にも将棋が流行した。
子供たちの吸収は早い。
指し方を覚えた後、囲いの形も習得。
「〇〇ちゃん(僕のこと)は振り飛車? それとも居飛車?」
僕は当時、曖昧にしかその意味を知らなかった。
そしてそれから数ヶ月後、将棋で負けてしまった。

つい数年前にコマの動かし方を覚えたばかりの甥。
そんな子に負けてしまったのだ。
あ、ここで銀を引かれたらまずい。
そう思った次の手で、甥は正確に銀を引いた。
いまだに覚えている。
ちなみに甥は子供の頃から優しい。
だから、勝負に勝って少し申し訳なさそうだったのも覚えている。

将棋を覚えたての子に負けたのはやはりショックだった
(成長も嬉しかったけれど)。
父や兄のように、甥もまたセンスがあったのだろう。
しかし、将棋は知的なゲームと言われる。
知的な世界で経験わずかな小さな子に負ける。
とても残念な気持ちになった。
そしてそれと同時に、初めて将棋を面白いと思えた。

それから棋書を買った。
前と違うのは、買ったら読み込むことを意識した。
以前はある程度の形ができたら満足。
それ以上を追求していなかった。

玉を囲う。
周りに金銀を配置して守りを堅くする。
だから金銀三枚で囲えばかなり強くなる。
……訳ではなかった。
囲いにもそれぞれ相手によって相性がある。

穴熊に囲うのは硬いけれど、崩しやすいかたちがある。
居飛車同士では勝負しづらいこともある。
美濃囲いは簡単に囲えるはずなのにやたらと玉が遠い。
しかし安心しているとほんの数手で詰まされる。
成人してからやっと、少しだけ将棋を知ることができた。

僕は将棋のセンスがない。
しかし、棋書を読むことは相変わらずできた。
将棋に飽きてきた甥にリベンジを果たす。
父と指しても少しずつ勝てるようになった。

その後も折に触れ棋書を学ぶことがある。
本を読まない父といつの間にか力の差が逆転。
負けることはほとんどなくなった。
久しぶりに兄と指したときは優勢を築いた。
勝負は兄の子の乱入でドローとなり雪辱は果たせなかったが。

将棋のセンスというものはやはり存在している。
前述の通り、父は棋書を全く読まない。
にもかかわらず、自分の力でプロと同じ形を作っていた。
腰掛け銀という形は、どう考えても僕は到達できない。
兄と久しぶりに指した一局は終始優勢だった。
しかし一手だけ手を間違えた。
その間違いを兄は正確に咎めてきた。
やはり強い人は強い。
大きくなってから全く相手してくれなくなった甥。
彼もきっと強い人が見せる何かを持っているはずだ。

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wikipediaより

腰掛け銀 – Wikipedia ja.wikipedia.org

今日は将棋クラブで指した。
お相手は92歳。
しかし、頭も体も達者。
穏やかなお人柄に反して、将棋は居飛車でぐいぐい攻める。
やはり、生まれつきセンスを持っている方だ。
クラブに入りたての頃はずいぶん負け続けた。
しかし僕はいつもの調子。
才能がないので棋書を学ぶ。
詰将棋を指す。
その積み重ねをしているうちに負けなくなった。

本日は6勝1敗。
細い攻めが負けに繋がり、負けが攻めを雑にする。
そんな将棋だった。
僕はいまだに負けるのは嫌。
なるべく見覚えるのある形にして隙を待つ。
ルールを破らない限り、どんなことをしても負けたくない。
飛車を振り、銀冠に囲った形で圧勝。
でも、お相手は負けてもニコニコと楽しそう。
将棋では勝てるようになったが器では勝てない。

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wikipediaより

ここまで書くと僕は将棋が強そうに見えるかもしれない。
しかし実際は大したことはない。
弱い。
勝てるようになったのは全部本のおかげ。
しかも、決まった相手にだけ。
少しでも形を崩されると応用が効かない。
何十年もたってやっと気づくことばかり。
やはり将棋のセンスがないんだな、とよく思う。
今日なんて、ずいぶんたくさん指した。
次、次と来る92歳に根をあげそうになった。
今現在は将棋の動画を見る気になれない。
もう、お腹いっぱいである。

それでも。
それでもまた指したくなる。
ふと出された詰将棋に思わず食いついてしまう。
やっぱり、将棋が好きなんだと思う。

ヘトヘトな頭でそんなことを考えた。
ふと文章にしたくなった次第である。